自分さえよければ

自分さえよければいいわけがありません。

自分さえよければいいと生きていても、結局は自分の為にならないのです。

それは自分一人では生きていけないからなのです。

いや、俺は他人に頼らず生きている!

とおっしゃる人もいるかもしれません。

本当にそうでしょうか。

貴方の使っている電気や水、そういったインフラは他人の手によって運ばれています。

人里離れた山奥で自給自足をしている人であれば別ですが、何かしら他人から享受をしているはずです。

つまり、貴方が誰かの為に行った行為は、それを受けた人が、また誰かの為に行動をします。

そしてその誰かがまた誰かの為に行動します。

巡り巡って貴方に返ってくるのです。

貴方が何もせずにただ受けるだけだったらどうでしょう?

何もしていない貴方に誰が与えてくれるのでしょうか?

ばれないようにしていても、いつかばれたとき、それは大きな負の反動となって帰ってきます。

何もしない負が溜まるのです。

逆にあなたの行った善は、目の前には溜まらないもしれませんが、誰かに預けられているのです。

投資の様にあなたの善は巡っているのです。

沢山、善を与えれば、巡り巡って貴方に善が返ってきます。

自分さえよければ、と行動をしていては、善が巡ってこないのです。

善の行動とは、お金の様に可視することは出来ません。

また、いつ巡ってくるかもわかりません。

善の循環には、時間差があるのです。

それは、自分の子供や孫にまで及ぶのではないかと思います。

私は戦争を知りませんが、私のおじいさんやおばあさんは、戦争に終止符を打つ善をおこなったのだと思っています。

それが巡り巡って、孫世代である私たちが享受しているのです。

おじいさんやおばあさんは、きっと自分たちの子や孫にいい世界を残そうと全の行動をとっていたのではないかと、教えられずとも感じることが出来ます。

善の行動をしましょう。

善の貯金をしましょう。

ご覧いただき、ありがとうございました。

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